高度障害で、ぼんやりする頭でそう思ったのはアフリカ大陸・最高峰 キリマンジャロの頂上5895mに立ったときだった。
そこには雲の上に浮かぶ空中庭園と碧く透き通る氷河が広がっていた。
美しすぎる光景だった。
これ以上の景色がこの世の中、存在するのだろうか?
きっとあるだろう。想像を絶する景色が。
地球に生まれたからには自分の生まれた星の美しい景色を見ておきたい。
その美しい世界を求めて、一年後、私は7000m峰の頂を目指して果てしなく続く道を歩いてた。
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30代さえない会社員(女)ですが、2014年2月 南米大陸最高峰のアコンカグア登山へ個人で行ってきました。
その際の体験記をここに紹介させていただきます。
1ページ内でまとめ、読みやすくするため、各日程で起こったことをハイライト的にまとめてます。
登山中にはもっと様々なことがあったので、このページでは書き足りない部分は、また別の記事で色々書こうと思います。
目次
アコンカグアとは
7大陸のうち南米大陸の最高峰の山。国はアルゼンチン。標高は6962m。
7大陸最高峰の中ではエベレストの次に高い山である。
イッテQのイモトさんも挑戦された山でおなじみ。登頂率は30%。
体感温度は-30℃まで行く場合もある。
高度な登攀技術は必要されないが(とは言っても冬山の技術が必要)
酸素ボンベを使用する8000m峰と酸素を使用しない7000m峰はもはや同等レベルで登山装備はヒマラヤ8000mクラスのものが必要。
装備&ノウハウの詳細についてはこちら!
【攻略ポイント】アコンカグアでの最大の敵は天気と標高
第一の敵・天気は ビエント・ブランコ(viento blanco)「白い悪魔」と呼ばれる凶暴な嵐。
時速230kmほどの強さの吹雪が襲い掛かってくる。
新幹線の先っぽにくくりつけられることを想像するといいかもしれない。
まずは、ビエント・ブランコに遭遇しないように登山をすることが第一。
登頂率の低さは悪天候でみな断念している。
第二の敵は標高、すなわち高山病。
高山病は初期状態は頭痛から始まるのだが症状が進行すれば肺気腫・脳浮腫・眼底出血などを引き起こし、症状が進行すれば死亡する。
私が登山している間も数名の登山者が高山病で運ばれていた。
ちなみに高山病の対策は深呼吸するしかない。
高度順応がうまくできるかが超重要ポイント
(富士山登山でよく見かける酸素缶は高山病には効果なし。プラシーボ効果である。)
※アコンカグアについて詳しいことが知りたければこの本がおすすめ。
Aconcagua: A Climbing Guide (英語)
本文は英文だがかなり有益なことが書かれている。
ちなみにkindle版もある模様。→ How To Mount Aconcagua:
詳しくはこちらにまとめました。→ 工事中 m( _ _ )m
【旅路】1.5日かけて地球の裏側まで行く。
成田→ロス(USA)→サンチャゴ(チリ)→メンドーサ(アルゼンチン)
飛行機やバスをのりついで目的地へ向かった。1.5日位かかる。さすが地球の裏側。遠い。
【準備】とにかく忙しい!アコンカグア入山手続き&準備
まずアコンカグアは無料では登れない。メンドーサで入山手続きと入山料を支払う。
手続きや装備調達やムーラの手配などで市内を駆け回る。
もうめちゃんこ忙しい。
日本からの多忙(仕事&出国準備)で既に超睡眠不足なのもあり、冗談抜きで歩きながら寝てた。
ちなみにアルゼンチンはスペイン語圏。
観光関係以外の場所では英語は本当~~にさっぱり通じない。
TOILETすら通じない。
伝えようとする気持ちだけでなんとか乗り切る。
【登山1日目】いきなり雪!
【行程】登山口 プエンテ・デル・インカ Puente del Inca(2700m) → コンフルエンシア Confluencia (3300m)
さて準備が終わり、いよいよスタート地点・登山口 プエントデルインカ(2700m)へ
…が、いきなり大雨!
ついてない!
しかも次第に雪になっていく・・・!
夏山のはずなのに・・・!
せっかくのアコンカグアの姿も見えやしないと恨めしく思いながら進む。
しかし、この雪は後に思いがけないプレゼントをくれるのであった。
4時間ほど歩いてキャンプ地・コンフルエンシア(3300mへ)に到着。
今日から2週間ほどテント生活。
テントがいっぱい建っている。
私達も自分で持ってきたテントを建てる。
テントの中で、高山病の進行具合を測定する血中酸素濃度をはかると67%!
平地で測定すれば98~99%が平均値なのに67%!
地上では即・集中治療室行きレベルの数値も高所では簡単にたたき出してしまう。
深呼吸をひたすらして回復させる。
根性だけでは高所登山はできない。
【登山2日目】アコンカグア南壁へ散歩&高度順応
【行程】高度順応日 コンフルエンシア Confluencia (3300m)→アコンカグア南壁 Aconcagua South face(4100m)→コ ンフルエンシア Confluencia (3300m)
翌朝、コンフルエンシアで登山の必須条件の「医師のメディカルチェック」を受ける。
結構色々調べてくる。合格しなければ先には進めない。
もちろん合格。
今日は高度順応がてらアコンカグア南壁を見に行く。
アコンカグアと言えばだいたいこの「南壁の写真」が使われる。
キャンプ地を出発するとあたりは雪化粧をまといながらどこまでも青い空が広がっていた。
雲一つない!昨日の雪のおかげだ。
夏シーズンで雪の南壁を見に行けるだなんてラッキーじゃないか!
しかしこの雪も午後には溶けてなくなってしまうだろう。今だけの超期間限定だ。
6時間ほど氷河を乗り越えていくとアコンカグアの南壁(4100m)に到着した。
到着した瞬間、アルゼンチンの男性が、笑顔でいきなりサラミをはさんだパンを私の目の前に差し出した。
「Here you are!」
もちろん笑顔で受け取りほおばる。
「Good tast!」
行動中はクッキーや乾物しか食べてないのでふんわりした食感がとてもやさしく嬉しかった。
めちゃくちゃおいしい。
お礼に日本のクッキーをあげる。
笑顔でみんなでわけて
「Good taste !」
とりあえず仲良くなったので記念撮影。
彼らはsummitまではいかないそうだ。
アコンカグアの南壁を眺めながら思った。
数日後、私はあの頂に立っているのだろうか?
あまりの標高の差と圧倒的な存在感にぼーっと見とれてしまった。
まあ地球の裏側まで来てしまったからには、やれるだけやってみよう。と思った。
アコンカグアの南壁を堪能したら、そのままシショーとIさんと共にコンフルエンシアに戻った。
【登山3日目】登山者の基地・ベースキャンプへ
【行動】コンフルエンシア(3400m) → B.C(ベース・キャンプ)/ プラザ・デ・ムーラス Plaza de Mulas(4300m)
今日は登山の本拠地・ベースキャンプ(BC)プラザ・デ・ムーラスまで行く。
遠くに見える登山隊がゴマ粒に見える位、小さい。
進んでも進んでも景色は全然変わらない。
日本の山とはスケールが違いすぎる。
今日の行動時間は10~12時間程度だろう。
このコンフルエンシア→BCまでは長距離にもかかわらず途中キャンプは禁止だ。
アコンカグアの商業ツアー登山があまり存在しないのも、恐らくこのコンフルエンシアからBCまでの道のりが最大のネックだからだろう。
日没までにB.Cに到着する。
これは誰でもクリアできる距離ではないと思う。
この距離ですらクリアできない人はアコンカグアにきちゃだめだってことか。
そんなことを考えながら、ただひたすらトボトボ歩く。
さえないOLも雄大な自然が背景にあると、途端にかっこよく見えるから、自然すげえ。
夜7時。日没前にBCに到着。
BCに着くと意外にも周りは陽気な雰囲気に包まれていた。
カラフルに彩られたテントからウクレレやらギターの音。
笑い声や美味しそうな匂いが漂っていた。
そりゃここは登山隊の基地だもんな。
ワインやケーキ、シャワーやネット、電話まである。(ただしネットは10分3000円。高い)
南十字星と天の川とダイヤモンドのように散りばめられた星がとてもよくみえる夜だった。
【登山4日目】上部キャンプへの準備
【行程】BC(4300m)→C1アラスカ Alaska(4900m)→BC(4300m)
朝テントから出ると快晴だった。アコンカグアの頂上もよくみえる。
今日はゆっくり休息日かと思いきや上部キャンプ(C1~C3)で使用する食料をパッキングすることに。
登山では軽量化・コンパクトは超重要なことで、食料のパッキングも大事な作業のひとつ。
本当は下界でやることが望ましいが時間がなかった。
パンのふわふわ感だってせんべいみたいにぺっしゃんこにしてしまう。
カンパンやらクッキー、アルファ米やフリーズドライ食品をどんどんナイロン袋にいれていく。
最大で7日間上部キャンプに滞在する可能性があるのだから結構量がある。
3人で63食分。7kgになった。ごみが1.5kgもでた!
ごみはもちろん回収。自分たちで下山時、下界へ持っていく。
BCで日本人にあった。しかも名古屋の大学生だった。
こんな所で名古屋人に会うとは…。世間は狭い。
メディカルチェックで二日ほど足止めを食っているそうだ。
高度順応しきれていないと。
こんなところにたった一人でくる若者の勇気に心の底から感心・尊敬した。
アタック飯を作ったあと15時から20時まで明日の宿泊予定地C1へ荷揚げをする。
この荷揚げは重要な行動で、次の日に宿泊する場所へ事前に行って高度に体を慣らす。
ついでに食料や装備を置いてくる。
それからちょっと低い場所に戻って睡眠をとることによって高度順応を促進させる。
下山途中、高山病らしき登山者が上から下ろされていた。
私も気をつけなければ。
【登山5日目】いよいよ上部キャンプへ。
【行程】BC(4300m)→C1アラスカ Alaska(4900m)→C2 ニド・デ・コンドレス Nido de Condores(5365m)→C1アラスカ Alaska(4900m)
朝BCでメディカルチェックを受ける。
ここでIさんがメディカルチェックに通らなくなってしまった。
彼女はBCに滞在するという。アタックメンバーが私を含め2人になった。
レンジャーから天気予報をきくと、この晴天はそんなに続かないそうだ。
本当は今日は休息日なのだが・・・。
しかし、休息日は「無し」にしてC1へ急ぐ。
今日から水は全て雪を溶かして作る。
地味に時間がかかる作業だ。
シショーは荷揚げと偵察でC2へ向かい2時間程度で帰ってきた。
恐ろしいほど早すぎる。ワロス。
【登山6日目】登るか下りるか。
C1アラスカ Alaska(4900m) → C2 ニド・デ・コンドレス Nido de Condores(5365m)→最終キャンプ地・C3ホワイトロックWhite Rock (6000m)→C2 ニド・デ・コンドレス Nido de Condores(5365m)
今日・明日は雨は降らないが強風。
明後日から数日間、雪と強風が居座る「らしい」
つまり
私たちにとっては今日と明日しかチャンスがない状況だった。
登頂予定日は、高度順応日を削っても、早くて3日後の明後日。
レンジャーの話を聞いて下山を始めたチームもいる…。
天気予報を信じて諦めて安全に帰るか・・・。
嵐が来たらどうしよう。
アコンカグアの頂上を見上げると不穏な形をした雲が頂上をゆらゆら揺らめいていた
山の天気予報ほど、あてにならないものはない。
行けるとこまで行こうという話になった。
きっとこういうシーンでの判断が登頂率30%にかかわってくるのだろう。
アタック日の負担の軽減も考えて当初予定だったキャンプ地・ベルリン(5700m)から
更に上部のホワイトロック(6000m)に最終キャンプC3を張ることにした。
ひたすらのぼってC2・ニド・デ・コンドレス(5365m)に到着する。
シショーが装備をもってC3に荷揚げへ向かった。
私はその間ひたすら雪を溶かして水を作った。
夕暮れどきテントから頭を出すと外は紫色のトワイライトに包まれていた。
幻想的な光景だった。
【登山7日目】極限の世界
【行程】 C2 ニド・デ・コンドレス Nido de Condores(5365m)→最終キャンプ地・C3ホワイトロックWhite Rock (6000m)
C2からは坂道を黙々と登る。
幸いにも高山病の兆しはなかったが、やはり酸素が薄いのはしんどい。
ベルリン小屋の中はこんな感じ。これなら寝れる!?
ホワイトロックというだけあって周りは巨大な白い岩が立ち並ぶ。
今まで感じたことがないような「生命を感じない場所」だった。
生き物が生きていくことができない環境。そんなものを本能で感じた。
こんなところで一晩寝るのか・・・。
この岩を見てもわかるとは思うが、とにかく「めちゃくちゃ乾燥している」のだ。
こんなに乾燥しているから岩もホワイトロックになってしまうのだ。
これなら簡単にミイラが作れそうだ。汚い話、うんこも見事に乾燥してくれる。
ウンコ乾燥はありがたいんだが・・・。
水をたくさん飲まなくては、ミイラになってしまう。
(うんこは出したら自分たちで回収しなければならない。回収をサボると罰金1万円位?だったかな。忘れた。を下山完了時に支払うことになる。チェックがあるのでズルはできない!)
標高6000m。周りは、じきに闇に包まれる。
テントを張ると中にすぐに潜り込んだ。
しかしそこは極限の世界。
気温-20℃は全てのものを凍てつかせる。
テントも服も寝袋も水も食料も私の意識も吐く息も、生きていくことでさえも。
全てのものが氷の世界に引きずり込まれていく。
どんどん凍りついていく。
まるで生きることを許さないかのような世界がそこにはあった。
全ての時間を止めるなにかがあった。
シショーともしゃべっていない。
一緒にいるけどしゃべっていない。
ひたすら二人は狭いテントのなか肩を並べて深呼吸をしていた。
深呼吸だけがテントのなかにこだましていた。
雪を溶かし水をひたすら飲む。
飲んでも飲んでも渇く。足りない。
座っているのに苦しい。
動いていないのに苦しい。
BCで作ったアタック飯を無言で食べながら、ひたすら深呼吸を繰り返す。
極地用の装備をもってしても自然の強さにはかなうことはできないのだなと感じた。
自分がだす汗で装備がじわりじわりと凍っていくのだから。
凍った装備に生身の体を通すのはつまり凍傷を招くことを意味する。
エベレストには死体がごろごろ転がっている。
なかには服を脱いで苦しそうに悶え苦しんだまま死んでいる死体もある。
最初その写真をみたとき「?」と思った。「寒いはずなのに。なぜ服を脱ぐ?」と。
でも今ならわかる気がする。
私も服を全部脱いで防寒マスクをとって酸素をとにかくたくさん吸いたいと思った。
まどろっこしい装備なんて全部捨ててしまいたい。
重たい。苦しい。とにかく酸素を吸わせてほしい。
・・・でもそれをしてしまえば死んでしまうだろう。
アイゼンをはめるのに手間取ってイラついて極地用防寒手袋をとったらシショーに怒られた。
「ばかやろう!!!なんで手袋をとったんだ!君の手はもう今この瞬間に冷えきったよ!!凍傷の始まりだ!せっかくのベイパーバリアも意味がないじゃないか!馬鹿か!!・・・もういい。ベイパーバリアを外しな。もう意味はない。とにかく凍傷にならないように指を動かせ!!」
温厚な人ですら声を荒げる。
あぁ。凍傷になるのかぁ。
いやだなぁ。指だけはいやだ。
仕事できなくなるじゃないか・・・。
凶暴な風と月と暗闇とテントだけが浮かんでいた。
私たち以外だれもいない。
できればここで眠りこけて目が冴えたら自分の家のベットで目が覚めたい。
なんでこんな人が生きていけないところにきてしまったんだ。
はじめて後悔した。
下山したい。
そんな静寂の中、腕時計のアラームが鳴った。
午前2時だ。
あぁ。アタックが始まる。
シショーが、むくりと起きて言う。
「起きろ」
きっと今までの人生で一番苦しい時を迎えるんだろう。
私もむくりと起きていう。
「起きてますよ。」
もうこうなったら行くしかないか。
行きますよ。
ええ。行きますとも。
頂上へ。
【登山8日目・アタック日】蒼天の頂へ
最終キャンプ地・C3ホワイトロックWhite Rock (6000m)→アコンカグア頂上 summit(6962m)→ C3ホワイトロックWhite Rock (6000m)
「ちくしょう!なんでガスが出ないんだ!!」
シショーが新品のガス缶を寝袋に叩きつけた。
ガス缶の不良品にあたってしまったらしい。
昨日テスト使用したときにはあんなにも燃えていたのに。
なにもこんなときに・・・。
ひとまず今まで使用していたガス缶で雪から飲み水を作ろうとするが、
散々使い倒したガス缶からは弱々しい炎しかでず、だらだら溶けていく雪を見つめているだけだった。
「…だめだ。このペースじゃあ水は作れない。登頂に間に合わない。水分補給を諦める。」
とりあえず500mlくらいの水を作ってふたりで飲んだ。
本当は一人2リットルはのみたいのに。
食事は火が使えないのでビスケット数枚で済ませた。
飲まずで頂上行きかぁ。
水分不足は高所にとってはかなり厳しい。
高山病の進行を促進させるからだ。
でもしかたない。
ないものは「ない」のだから。
テントから出て空を見上げると真っ暗な空に満月がぽっかりと浮かんでいた。
あとは身を切るような鋭い風が吹きすさんでいた 。
誰もいない…。
頼りになるのは登頂ルートを示すGPSデータとヘッドランプの灯りだけ。
幸い、天気予報は外れた。
雪は降っていない。
下山した登山隊の人たちのことを思うと悔やまれる。
持っている装備すべてを着込んだ。ヘッドランプの電池も換えた。
温度計を見た。-20℃。
体感温度でいけば-30℃をいくだろう。
寒い。過酷だ。
私達は一歩を踏み出した。
午前4時 アタック開始。
頂上までは片道10時間。
帰りも考えれば往復15時間行動だろう。
アルゼンチンの日没は20時。
それを過ぎると闇がやってくる。
制限時間ぎりぎりだ。
一歩、歩いてはピッケルに体を預けて休憩し、また一歩踏み出すというペースだった。
時には誰も歩いていない雪が深いところをラッセルしてルートを切り開いていく。
ラッセルは体力の消耗が激しい。
足の指が異様に冷たい。
やばいな。早く日が昇って気温が上昇してほしい。
日が昇ってきた。朝焼けとともにアンデス山脈が広がる。
途中、インデペンデンシア小屋(6380m)にでる。
ここは吹雪になったとき目標になる場所。
といっても壊れかけの小さな三角形の小屋があるだけだけど。
それでもあるだけありがたい。
右に行くと遭難死確定コース。
注意しなければ。
ひたすら歩いていくとアコンカグアの難所その1 、大トラバース地帯についた。
急傾斜の道を横切っていくのである。超でっかい滑り台なかんじだ。
滑り台の先はずっとずっと下の世界に続いていた。
終着点は見えない。
滑落すればそのまま遭難か。
軽量化を図るためにザイル・命綱は全ておいてきた。
滑落したらピッケルで自分でとめるしかないが、
恐らく一度滑りだしたらなにかに激突するまで止めれないだろう。
絶対に滑落はできない。
意識はぼんやりしながらも一歩一歩慎重に細いトレースをたどっていく。
下をチラっとのぞくと吸い込まれてしまいそうになった。
だめだ!下は見ちゃだめだ!
正面だけをみて前へ進む。
せっかくの絶景は完全無視だ。もったいない・・・。
大トラバースを抜けると倒れこんだ。息が続かない。
もう本当に帰りたいと思った。無理だと。
おうちに帰りたい。お風呂に入りたい。ベッドでゆっくり寝たい。こんな乾物じゃなくておいしいご飯が食べたい。温かいココアのみながらテレビみたい。普通の生活がしたい。
アタック中そんなことばかり考えてた。
自発的にここへ来たはずなのに、欲望に次ぐ欲望がどんどん渦巻く。
数日前、下から見上げていた南壁の頂上と同じ高さに来たのだ。
あぁ、ここまで来たんだ・・・。
ここまできたなら頂上までいかねば。
起き上がってまた歩き出す。
最後の難所・頂上直下のグランカナレーター(6600m)にきた。
正直どうやって登ったのかおぼえていない。記憶がない。
ただ最後の「壁か!!」と突っ込みたくなる登りだけは、
ピッケルとアイゼンを思いっきり地面に突き立てて登っていたことだけは覚えている。
そうこうして、苦しみながら登り続けると、深く青い空間に出た。
目の前にはもう坂はなかった。
「頂上だ…!」シショーがつぶやく。
あぁ、やっときたんだ・・・。
頂上へきたんだ・・・。
最後の一歩を踏み出す。
ついに頂上についた。
南米大陸最高峰アコンカグア6962m 登頂!
現地時間 2014/02/24(月)12:00
登頂するとシショーと抱き合い登頂を称え合った。
シショーに、言いたいことがいっぱいあったが、消え入りそうな声で「ありがとう・・・」というのが精一杯だった。
写真には余裕がなさすぎて指がはいってしまった!
頂上から見た景色はまるで魚眼レンズをのぞいているようだった。
南米大陸の一番高い場所。
地平線が丸くみえアンデス山脈7500kmが眼下に広がっていた。
空は、海より深い蒼色を出し、天地が逆転したのかと思うほどだった。
あのずーっと歩いてきた雄大なアンデス山脈が小さく見えるほどの場所に、今、私は立ってる。
昔、読んだ小説によると、この十字架の付近に箱があって、その中に登頂者名簿があるらしいのだが、箱は見当たらなかった。
残念だ。
かの有名な冒険家・植村直己氏の名前が書かれた登頂者名簿をこの目で見たかったのだが…。
シショーが「もう時間だ。帰ろう」という。
私はもう二度と来ることのないだろう景色をしっかりと記憶し、下山を開始した。
グランカナレーターを下る。
今まで登ってきた急斜面をどんどん下る。
シショーが早すぎるので、途中から別れて一人で下る。
ヘトヘトになりながらC3に帰ってきた。20時を過ぎていた…。
16時間以上の行動・・・。
私は運動神経がいいわけでもない(逆上がりなんて生まれて一回もできたことがない)
持久力があるわけでもない。ただのハイカー、ふつーの登山愛好者で、むしろ持久力はない方なのだ。
アコンカグア行く前は、よく山に登ったりはしたが・・・さすがに、今までこれだけ行動したことはないなぁ・・・。
テントに倒れ込むと、なけなしの燃料で水を作って、ビスケットを少しだけかじって寝た。
早く下界へ行きたい。
【登山9日目】BCへ!
【行程】C3ホワイトロックWhite Rock (6000m) ~ BC・ベースキャンプ(4300m)
今日はBCまで一気に下山をする。いきなり1700m下るのだ。
ひたすら下る。
ちなみにこの後ろにある建物は、シェルター。
中にレンジャーとつながるトランシーバがあるが、それを使うと登頂を諦めなければならない。
とにかく下る。
C3からシショーと共に下り始めるが、力量が違いすぎるのでC2で別れて先に下山してもらった。
シショーには「遭難だけはすんなよ」と釘をさされた。
と、別れた後に自分の地図はシショーに貸したままだったことを思い出した!
あああ!!あほだーー!
とりあえずトレースをたどって下山する。かなり不安。
下山しているとC2付近であの名古屋の大学生にあった。
「もうチャンスは明日しかないから、明日コレラキャンプから頂上を狙う」といっていた。
明日の天気を不安に思いながら「がんばって」といって大学生を送り出した。
気がつくと天気が急に崩れだした。
上から雲がどんどん迫ってくる。
まずい!!ホワイトアウトしてしまう!
今ホワイトアウトしたら遭難する。
最後の力を振り絞ってトレースを転がり落ちるようにひたすら下山する。
夕方18時 BCに到着。BCにつくと雪が降り始めた。
見上げると山の上部は雲で覆われつくしていた。
あと1時間でも遅かったらと思うと寒気がした。BCのテントに倒れこむ。
シショーらが用意してくれた飲み物と食べ物を、ただひたすら黙ってがっついた。
これでもかってくらい水を飲んだ。
やっと水がのめた。登頂前から水不足だったから体に染みわたる。
人生で最高にミネラルウォーターがおいしいと思った。
力なく笑顔。
食べるだけ食べ、飲むだけ飲んだら泥のように眠った。
【登山10日目】休みもなく下山!
【行程】BC(4300m)~ 登山口:プエンテ・デル・インカ Puente del Inca(2700m)
今日は下山だ。早く下界に行きたい、行きたい…。
テントをたたんでいると
「キミ、頂上のぼったの?」と聞かれる。
Yesと答えると
「すげえな!一緒に写真とろうぜ!」と記念撮影。
そんなかんじで何人かに写真をとられた。
今から頂上を目指す者の験担ぎなのだろうか。
BCでちょっとした人気者になった。
アルゼンチンの街でも歩いていると「アコンカグアいったの?」とたまにきかれた。
やはりこの日焼けは目立ちすぎだ・・・。OTL
全てを撤収して私たちは12時間かけていっきに登山口まで下山した。
イッテQのお祭り男・宮川大輔みたいな「お祭りおしぼり」を頭に巻いているのは女子としてはどうかと思うが、これしかなかったんや…。
実は、アコンカグア登山で、一番しんどかったのは、この最後の下山だったのは今でも忘れない…。
頂上行った直後に、さすがにこの移動、12時間はこたえた。
下山中「う~~う~~~」うめき声をあげながら歩いて帰った。
やっぱり一日BCで休めばよかったンゴ…。
地獄の12時間だった。
黄金色に輝く黄昏の中、アコンカグアは、今日も、雪と雲と共に静かに佇んでいる。
「さようなら。アコンカグア。」
私は車に乗り込んで、アコンカグアを後にした・・・。
【下山後】
やっと宿屋についた!
久しぶりにおいしいご飯とベッドにありつける!
健康体で登り始めたはずなのに超絶虚弱体質になって帰ってきた。
顔は紫外線でやけどのようになるわ、くちびるはパンパンに腫れアダモちゃんのようだわ
鼻をかめば鼻血を出し、血便は出るは、咳はとまらないわ、粘膜が焼けたのか鼻水は意識なく流れでる、生理は勝手に始まるわ、両足指は慢性的にしびれてるわ、そもそも歩けばゾンビのように「うーうー」とうなり声をあげる。
まさにアンデッド!!!
登っている最中は必死で気がつかなかったがかなりダメージを受けていたようだ。
この日焼けしまくった顔どうすれば・・・・。
休息したあとメンドーサへ向かうバスで、なんとまた名古屋の大学生に会った。
「頂上までいったのか?」ときくと「いけませんでした。」と頼りない笑顔で答えた。
みんながみんな、登れる山ではないのだと思った。
****
アコンカグアに挑んだことは最高にいい経験だったと思う。
苦しかったけどアコンカグアの頂上からみた景色を絶対に忘れることはないだろう。
リスクを超えることで自分の限界を広げることができる。
危険や失敗を恐れていつまでも自分が出来る世界にとどまっていたのでは
ずっと自分の世界を広げることはできない。
限界を超えることをしてみなければ自分がどこまでできるかなんてわからない。
それは登山だけではなく仕事だってどんなことにだって言えるだろう。
そのことを教えてくれたアコンカグアに感謝の意をあらわしつつ、私はこの山に別れを告げた・・・。
おわり
装備、食料、通貨、保険など準備については↓を見てねー。
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毎日読んでいます。
本当に役に立ちます。
アコンカグアとエーブルース、今年行く予定です。
またなにか聞く事があれば質問させていただいてもよろしいでしょうか?
ぽめらにあんさん
こんにちわ(^○^)毎日読んでいただけるとのことで本当うれしいですー。
忙しい仕事の合間でも記事を書く元気が湧きます。
私でわかる範囲でしたらぜひお答えしますー。
エルブルースとアコンカグアへ行かれるとのことで、ステキですね~。
両方登頂できること願ってます!
ちなみにチリ(サンチャゴ)からメンドーサに行くときは飛行機移動よりもバス移動のほうがおススメですよー。アンデス山脈を通り抜ける道でR60を通るはずです。
ルート名はLos Caracoles Pass。
その景色が非常にきれいです。5000m以上の山が連なり山好きなら、それだけでも行く価値があります。
私は夜行バスで通過しましたが、月明かりに映えるアンデス山脈が美しかったです。
昼便で移動すれば、美しさ倍増でしょう。
また南米でのバス移動はスリに合いやすいので全力で貴重品は死守しましょう。
暗視カメラを使って盗もうとするので腹に入れるなり分散するなりしましょう。
大型ザックを持った日系人なんて絶好の鴨がネギしょって歩いてる状態ですから。
あと余談ですが
https://miyukix.net/2017/10/19/soup-fat-burning/
ここにエルブルースに登るためにダイエットした記事がありますー。
ご興味がありましたらどうぞー。
エルブルース事態は体力的には問題なく登れそうでしたが、登頂日に猛烈なる吹雪&雷に襲われガイドの判断で強制下山でした。
雷を避けるためにピッケルを遠くに離して引きずって登る戦法www(避雷針的な発想)を体験しましたwwww
登頂できたらぜひ連絡くださいませ~(^○^)
こんばんわ。質問していいですか?コンフルエンシア と プラザ・デ・ムーラス のキャンプ場では、2日間づつ滞在していますが、何か規則がありますか?またロバに荷物を運んでもらったみたいですが、どういうシステムでしょうか?おいくらになりますか? 受け取りはプラザ・デ・ムーラス でしょうか!?よろしくお願い致します。
コンフルエンシアには1泊
プラザ・デ・ムーラスはアタック前は2泊、アタック後に1泊だったかな。
【ロバ 】
ムーラって言った方がいいかも。
確かメンドーサの町で手配した記憶がある。
LANCO (http://www.lanko.com.ar/#/)って所で手配したような、してないような…。
荷物預けは、プエンテ・デル・インカ付近の宿屋「Refugio Cruz de Caña」ってところで預けた。
費用は当時のメモによると 往復4万位。一緒に荷物入れれる人がいると割り勘できていいね。
ムーラに荷物を預けると、一気にプラザデムーラスまで運ばれてしまうので(コンフルエンシアでは荷物は受け取れない)
コンフルエンシアの野営道具は自分で担いでいくことになる。
ムーラ代が高いなら、自分で担いでいっちゃうのもありかもだけど、ムーラ頼んでよかったと私は思ってる。
ムーラに関しては、多分メンドーサにある観光協会に聞けば色々教えてくれるのでは?
【 規則】
まぁ記憶があいまいなので、本当参考程度に…。
【コンフルエンシア 】
・特にうるさい規則はなかったような。業者のテントも建ってたから借りれると思う。
【プラザ・デ・ムーラス】
・飲み水はキャンプ場の中央に雪解け水が樽?に貯めてある。でもあんまり当てにしないほうがいいかも。
時期が遅いとその水が枯渇するかも?(私がいた時はだいぶ水がなかった気がする)
その樽の水がどうやって補給されているか知らない。
・トイレはある。ボットンだった記憶が。
・到着後、BCのドクターに上部キャンプに行っていいのかお伺い?を立てる必要がある。
パルスオキシメーターで血中酸素計られたような。
もちろん数値的に体調が悪そうだと判断された場合、上に行くなって言われるので、
到着直後に顔出すよりも休憩してから顔出した方がいいかもね
返信ありがとうございます。むち打ちが早く直ることを祈っています。
2回ほど、車ぶつけられた事がありますが、むち打ちにはなりませんでした。
一応エルブルース登頂しました。歩いて頂上まで行く予定でしたが、連日の違うチームの脱落者を鑑み、雪上車で途中まで行きました。
@荷物預けは、プエンテ・デル・インカ付近の宿屋「Refugio Cruz de Caña」ってところで預けた。@
とありますが、帰りはプエンテ・デル・インカの宿で一泊したんでしょうか?
夕方にメンドーサ行きのバスがないとか。。でしょうか?
ただ有料で預かってくれると言うならつかいたいです。
よろしくお願い致します。
>>ぽめらりあんさん
おぉーエルブルース登頂おめでとうございますー!
私は頂上を踏めなかったので羨ましいですw
@荷物預けは、プエンテ・デル・インカ付近の宿屋「Refugio Cruz de Caña」ってところで預けた。@
すいません、私の説明が不足していました。
プエンテ・デル・インカ「Refugio Cruz de Caña」では「ムーラに預ける
」荷物の受付をしました。
下山後はプエンテ・デル・インカの宿屋に1泊しました。
夕方にメンドーサ行きのバスに乗ってメンドーサまで帰りました。
登山に使わない荷物はメンドーサの宿屋で預けました。
登山前の宿泊&登山後の宿泊を予約して宿屋に相談したらあずかってもらえました。預け賃は必要だったかは忘れました。
ただ登山前&登山後で同じ宿に宿泊すれば宿屋の人の心象も違って預け賃無料になるかも?まぁ基本預け賃は発生する位の心構でいいのではないでしょうか。また宿屋に荷物を預ける時は、預け用ダッフルバック&南京錠を忘れずに。
返信ありがとうございます。参考になります。アタックの日にザイルとかテントにおいていったとありますが、ハーネスとか、アタックに必要のないものとかありますか?
あと忘れていましたが、私の右腕、一度破壊されて、一年くらい使えませんでした。腕の上腕は人工骨で握力は現在も50%くらいです。腕立て伏せなどいまもできません。すべて海外保険で対応しました。
でもダイビングや水泳、山登りなどやれているので、時間経てば大丈夫かと。。
また何か質問あればよろしくお願い致します。
「アタックに必要のないモノ」ですか…。
C3でテントにおいていったものは、確か…
・炊事セット(アタック中、火を起こしている暇はないから。)
・登攀道具( ザイル、ハーネス、シュリンゲ、カラビナなど 。ヘルメットは元々なし)
ハーネスもクライミングで使う本気ハーネスではなく、長いシュリンゲ(120cmだったか…。)で自作する簡易・軽量ハーネス。
※クライミングしない&滑落停止目的のハーネスで、墜落荷重はクライミング程ではないという判断から簡易ハーネスにした。
ちなみに、モンベルに超軽量のハーネス(200g)もおいてあって、軽くていい感じ。
私が使ってるブラックダイアモンドの本気ハーネスは500g程度。ハーネス案外重たいです。
【当時のアタック時 は、荷物どうだった?】
アタック時、ザックは置いていきました(!丸腰…!)
自分が使ってる40リットルザックは900gですが、それすらも軽量化したほうがいいなと思いまして。
超極厚ダウンのポケットがデカかったので、そこに全ての荷物を詰め込みました。
水、行動食(粉末のアミノバイタル)、ヘッドランプ、GPS、紙の地図、ピッケル、位だったのでは…!?
そもそも、C1以降の上部キャンプに持ち込む装備は「全て使用することが前提」だと思います。
つまり「使わない装備なんて、ない。」
なので、C3テントに置いていくものは「ない」というのが正しい回答かも。
ただ自分たちは心配だったので念のため滑落防止のザイル装備をC3まで持って行きましたが
ザイルは不要だと判断して使いませんでした。
ザイルも重たいですからね。
(私運動神経皆無。めちゃどんくさいですよ)
ただアタック時、テントはC3に立てっぱなしになる。
そういう場合、テントの中になにも荷物が入ってないとテントが弱くなるので、飛ばされる&壊れる可能性がある。
そこも難しいところですよね。※実際C3は風、超強かった。BCではテントが飛ばされました…。拾えて良かったよ…。
とにかく軽量化を意識しまくりました。髪の毛一本すら減らしてやる!って勢いで。
私の感想では、アコンカグアの登頂のカギは
・徹底的な鬼の超・軽量化
なのではないかと。
装備を見ると、案外余分な部品がついていたりします。
・ザックについている一度も使ったことがない紐
・歯ブラシの柄を短くする
・日焼け止めを必要な量に小分けにしていく。
・アイゼンケースなど 使うと思い込んでいる装備(上部キ
ャンプ以降はアイゼンケースを使うシーンはない)
・電池(ニッケル水素よりリチウム電池)
そうすると1g 10g 100g 500g 1kg…となっていきます。
高度が高いところは重さが4倍に感じるんだったか?
結構1gが、バカに出来ないと思います。
計りに乗せて重さを計測したりしてました。
あとは
・天気
・高度順応力(高度5000m峰に行った実績があると尚良し。)
・基本的な冬山技術(ピッケル・アイゼンを使って日本の冬山が登れる程度。
ちなみに冬の富士山は私は登ったことはありません)
なのではないかと感じました。
1に軽量!2に軽量!3・4が天気で、4が軽量!かなー。
長くなっちゃったー!
最後まで読んで涙があふれ出てしまいました。
良い記事ありがとうございます。実は四捨五入すると70になってしまう
おじさんですが、来月ドイツに輪行で行くにあたりネットみてたら
このページにたどり着きました。 若いころは登山をやっていて学生時代の
最後はヒマラヤも数回行きましたが、まさに似たような気持ちを経験したので
その記憶とだぶり涙がでたのだと思っています。いずれにせよ、登山、自転車
沢山の興味深い記事を書かれているのじっくり拝見します。
ご挨拶まで!
おぉぉ~~コメントありがとうございますっ!
「涙があふれた」とのことで、そう言って頂けると、とっても嬉しいです(^〇^)ありがとうございます。
一生懸命書いた意義を見出すことができます。
「人の心を感動させることができる」というのはブログ冥利に尽きる、最高の誉め言葉だと思っています。
ドイツに輪行ですか!いいですねー!!
しかもヒマラヤへも数回行ってらっしゃるのですねー!!
すごいですね!!羨ましい…!!
自然は美しく、厳しいですが、その厳しさを超えていくからこそ、登山者の感覚・感情が研ぎ澄まされ、美しい光景が、さらに美しい「絶景」に見えるのかも。とも思っています。
それでは、ドイツ自転車旅行楽しんできてくださいねー!
これからも頑張ってブログ書きます(笑)
さっそくのコメントありがとうございます。
海外輪行もマイレージが使い切れなく余っているのでフライトは贅沢旅行ですが
宿はユースホステル前提です。 それでも、こちら拝見させていただいて
初心に帰り装備の軽量化改めてじっくり取り組もうと思ってます。
たいていのことはお金使えばどうにでもなるのですが、やはりいろいろ研究することが
大切だと思っていますが、こちらの百均、モンベルの違いを語っているの面白おかしく
拝見しています。 私の時代の海外は飛行機代もとんでもなかったし、羽毛も
出始めで高価で、手に入れるの大変でした。いい時代になったものだと思っています。
コメントありがとうございます(^^)
贅沢フライト羨ましいです!いつもエコノミーでダンゴムシのように小さくなって移動していますw
登山道具にしろ、なんにしろ、確かに大抵のことはお金でどうにかなってしまいますが、一度立ち止まって、考えたり試行錯誤するとお金かけるよりも良い結果を生みだしたりするのが面白いな~と思います。
「制限があるほうが、知恵を使って効率的なモノを作る。おもしろいモノを作る」とスーパーマリオの生みの親も言ってました。
えらそうに書いてすいません(^^;)
こんな若輩者が書き綴る弱小ブログですが、これからもごひいきを~。